みやけばなし

毎週金曜更新

サイコパス萌え

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    可愛い女の子に思いっきり腹パンされたい。初対面の女の子に笑いながらいきなり腹パンされたら「ウッ」って言って絶対好きになってしまうと思う。

    ヤバイ女の子にめちゃくちゃにされたいという願望がある人は少なくないんじゃないか。穂村弘も昔エッセイで同じようなことを言っていたし、『栗山千明率いる謎の軍団に故郷の村を焼かれたい』という定型文があることからも一定の需要があると思われる。

 

    この衝動は萌えとも違うし色気とも違うし、なんだかよくわからない。強いて言えばマゾということになるのかもしれないが、どうもしっくりこない。戸川純のライブ映像を見ているときの感情というのは、『あああああああああああああ戸川純可愛いよおおおおおおおおお』であって、『ありがとうございます!』ではない。

 

    シュルレアリスムの絵画を見ると意味がわからな過ぎて怖さと笑いが同時に襲ってくる。意味不明なものに接触すると脳はアルコールを摂取した時のように心地良く酩酊した状態で機能停止する。そこに少量の『可愛い』が加わると、アルコールと薬を同時摂取した時のように、感情の針が一気に「可愛い」に振り切れる。という仮説を立てた。

 

    もっと掘り下げれば性別関係なく古くからマジキチ萌え、あるいはサイコキラー萌えというものが一定ジャンルとして存在するのかもしれない。古くはサロメ、近年だったらハンニバル・レクターとか。殺人鬼を見て『可愛い』という感情が湧いてくるのは自分でも不適切な気がするが、実際湧くから仕方がない。

 

    中学のとき初めて好きになった女の子が、とにかくよく笑う子だった。放課後一緒に帰っていると、突然意味不明なギャグを発して、自分で笑い出してしまう。そして走り出してしまうので、走って追いつかなければならない。そんなことを繰り返していたから今こんなことになっているのかもしれない。

2017年8月15日岩手旅行留書(三日目)

岩手旅行三日目。


二日目まででいかに電車やバスの本数が少ないか実感していたので綿密な乗り継ぎ計画を立てた。

とは言え三日目の平泉は『るんるん』という巡回バスが10分置きくらいに要所を回っていたため、結論から言うとほとんど待ち時間なく回ることができた。


宿をチェックアウト後、昨日小岩井農場で買った裂けるモッツァレラをもきゅもきゅして(かなりうまい)、宿の近くの諏訪神社へお詣りしておみくじを引いた。中吉、『何れに行くも損なし』。これで清水寺の凶は払拭した。


平泉の駅前。いきなりかなりの風情。駅前に『どぶろくソフト』という看板があってすこぶる気になったが、これから先何があるかわからないのでやめておいて先を急いだ。

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これがバスの巡回ルート。主要な観光地を回ってくれているぽい。全く詳しくないので一日フリーパス(400円)を買い、時間が許す限りルート任せに降りてみることにした。

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毛越寺。慈覚大師が白毛の鹿の毛に導かれて山を越えたことから。平安時代を復元した庭園が素晴らしい。ちょっと紅葉し始めていたのも良かった。

遣水(写真3枚目)は曲水の宴(遣水の流れに盃を浮かべ、流れ来る間に和歌を詠み、詠み終わったら盃を戴く。平安時代に盛んに行われた)の舞台。ここでお茶会とか開いたらのどかだろうなぁ。

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今回お目当の中尊寺。山道を登る。

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道中横道にお堂や茶店などがあり、歩いていて飽きない。松尾芭蕉の足跡を辿る展示なんかもあった。

特に気になったのが下の写真のところ。薬師瑠璃光如来を祀っていて、目にご利益があるらしい。

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金色堂。当然中は撮影禁止。柱も床も金ピカで細工がぎっしり、所々象牙とか紫檀も使われていたりすごかった。

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中尊寺は一通りまわってすぐ降りてしまったが、もう少しじっくり回りたかったなぁ。最終日で新幹線の時間があるのでやむを得なかった。


高館義経堂からの眺め。義経最期の地。義経を祀る祠もあって、似せた像もあったんだけど、何となく撮るのはやめた。

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無量光院跡藤原秀衡平等院鳳凰堂を模して建てた…の跡。

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柳之御所遺跡。奥州藤原氏の政務の場、の跡。

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道の駅平泉。小さい子どもが焼き牡蠣の売り子をしていて可愛かったので食べた(牡蠣を)。おいしかったです。

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平泉の駅で電車を待ちながら、最初に降り立った時に気になった店でコロッケを食べて、早めに平泉を後にした。


とにかく新幹線に乗れなくなるのが怖くて、二時間前に新花巻についていた。新花巻前の『山猫軒』でこだわりラーメンを食べたり(駅弁まで待てば良かったのだが手持ち無沙汰だった)、土産物屋でごま摺り団子を買ってつまみ食いしてみたりした。ごま摺団子はジョジョのアレの元ネタで、ごま餡ではなくごま‘蜜'が入っている。プチュッてする。ンマイ。

こうやって見返すと三日目はちょこちょこ食べてばっかだったな。

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新幹線に乗った。


さようなら岩手!

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新幹線に乗って、三日間ずっと景色にあった緑がだんだん減っていって、建物が増えてビルが増えていくにつれ、何となく今まで緊張していたな、と気づいた。

岩手にはそもそも人があまりいなくて、リュックを背負って電車に乗っているといかにも観光客だなという感じになってしまう(他にも観光客はかなり居たけれど)。そして、人の頭数が少ないせいか、「あ、こいつ訳ありだな」という感じの人もあまり居ない。すっきりしすぎているというか。何となく安心できなかった。


やっぱり自分には東京があっている。東京はごちゃごちゃしていて紛れられる感じがするし、生きていても許される気がしてくる。旅行は楽しかったけど、住むのは東京で、旅はたまにでいい。それがわかったという意味でも、非常に有意義な旅だった。


この旅の教訓

・田舎は電車やバスが二〜三時間に一回とかしか来なかったりするので、事前に時刻表を調べて乗り継ぎを計画しておかないと時間をロスする。

NAVITIMEやGoogleMapは地方のバスには疎いので、地元のホームページや目当ての施設のサイトでチェックする。

・田舎は夜になると本当に何も見えないくらい真っ暗になる。

・ビジネスホテルの素泊まりはひとり旅にはちょうど良い。

・岩手ではテレ東系のテレビが放送されていない(けものフレンズの再放送が見られなかった)。

・ICタッチできそうな改札でもSuicaが使えるとは限らない。

・飲み屋の食べ物が美味しかったら持ち帰りで買えるかダメ元で聞いてみると案外買えることがある。

・わんこそばは予約してから行かないと混む。店によっては予約しないと出してもらえない。

・東京はなんだかんだで住みやすい。


2017年8月14日岩手旅行留書(二日目)

岩手旅行二日目。


宿は北上駅の近くにとっていたのだが、北上駅には0番線なるものがあり驚いた。

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電車に詳しい友人からの情報によると…


『慣例として、端にある駅長室から近い順に1, 2, …と付けるが、1番線より内側(?)に付ける場合は改番が必要になるので、それを避けると0番線が爆誕する…という仕組みらしいです。


なお、0番線と言えば熊本駅が物凄くて、0A, 0B, 0Cの乗り場がある(見ました)。』


とのことで。初めて見ました。


電車が来て意気揚々と改札を抜けようとしたところ、Suicaがピンポン。モバイル特急券はタッチできるがSuicaはできないと説明され、30分後の次の電車を待つことに。ICタッチできるところあればSuica通れるのかと思ってた。


腹が減っていたので駅中の食堂で400円くらいの海鮮丼を頼んでみた。小茶碗にイカの刺身とめかぶととろろ昆布といくらが少しずつ乗っていた。そんな特別美味いわけでもないんだけどお腹が空いていたのでありがたかった。味噌汁が付いてきたんだけど、なぜか何回飲んでも麺つゆを薄めたような味がした。あれは何だったんだ。


小岩井へ行くには盛岡を経由しなければならない。NAVITIMEにもそう書かれている。盛岡から小岩井へ行く電車が来るまでにも二時間ほど時間があったので盛岡市内をふらつくことに。地方の旅ってもしかして電車待ちの時間が多くの時間を占めているのでは。


北上川を渡ってみる。開運橋には宮沢賢治の石碑があった(写真の場所は開運橋ではない)。何かと出てくる宮沢賢治

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街中でよく見かける『盛岡冷麺』の看板がやたら気になり、店を見繕って入ってみた。

本当にスイカが乗っている!

透明な昆布系だしの甘じょっぱいつゆに、味があまりない透明な麺。スイカがつゆに浸るとヤバイことになるのではと思ったが、そうでもない。スイカに塩をかけると甘くなる、あれに少し昆布風味を足した感じになるだけなのでまずいということはない。でもすごく合うわけでもない。麺全体としては夏の食べ物として一つのレパートリーとして美味しいよ。

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とりあえず昼飯も食べたところで、もう一度NAVITIME先生の導きを確認してみた。よく見たら小岩井の駅から小岩井農場までの徒歩が一時間以上かかると書いてある。しかし流石に最寄駅からバスが出ているだろうと楽観視して普通に小岩井に向かった。


そして小岩井駅。案の定バスはあった。あったのだがまたもや次のバスが来るまで一時間近くかかると判明。私の他にも同時に駅に降り立った人が3組いたが、1組は迎えの車でバイバイし、1組のカップルはバスを待つ様子、もう1組はオロオロしているようだった。


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まぁどうせ歩いても一時間かかるんだし、何もないところでバスを待つよりは道々風景を踏みしめながら足で進むかと思いきり、一人牧場の方へ歩き出した。


この日は朝は雨が降っていたが、昼には止んでいて、よく晴れている中を冷たい風が吹いていて気持ちが良かった。田園風景がのどか。

東京だと市街地の一角余った土地に畑があるという感じだが、そんなのとは全然違う。山の一部を頑張って使う棚田とかとも違う。とにかく一面緑なのだ。どこまでも田んぼが広がっていて、防風林が見えて、その向こうは山。全部緑。


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途中Googleマップがどう見ても草原でしかないところや獣道に誘導してきて焦ったが、通れそうなところはなるべく通る方針で行った。『鳥獣保護区』という看板が出ているところがいくつかあり、木が密集して生えていて暗くなっているような場所もあった。クマが出なくて本当に良かった。

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やっと舗装された意味のわかる道にでた出て安堵。車で来た人は楽なんだろうなぁ。

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そしてついに駐車場入り口に到着!f:id:michemiyache:20170816234628j:plain


入場早々ソフトクリームと牛乳を買った。美味しい。炎天下を一時間以上歩いたこともあり格別だった。もっとクリームクリームしているのかと思ったが、それだけではない、何というか美味しい、ちゃんと美味しい牛乳だった。

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農場というだけあってとにかく広い。遊具施設もあるし、トラクター型の園内バスも走っている。もちろん土産屋や動物の小屋もある。

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乗馬(引き馬)体験とトロ馬車があったので、トロ馬車に乗ってみた。

広い。ここはあくまで観光施設なんだから、見ているのはほんの一部の風景なんだとわかっていはいるけどそれでも広い。歩いて来たときに通った牧草地帯なんて山一面牧草のところとかあったけど、そういうところをトロ馬車で移動したらもっと絶景なんだろうなぁ。

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少し歩いたので離れに牛舎もあった。子牛がたくさん。

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移動中に皮膚病っぽい大人の牛が引かれていくところも見た。可哀想なので撮らなかった。たくさん動物がいるから、いろんな事情があるんだろう。


牛がいるところから入り口までかなり遠いなぁと思っていたら園内バスがちょうど通りかかったので乗せてもらった。後ろ向きに乗せられたのでドナドナされる牛の気分だった。


帰り際に雨が降ってきて、今まで走り回っていた子供たちがフードコートで雨宿りしていた。

帰りは農場の前からバスで帰った。よく見たら盛岡間でバスあった。NAVITIME先生教えてくれなかったよ。先生は地方のバス事情には詳しくないみたいだ。


バスに乗ったらあんなに大変だった道中がどんどん過ぎていった。バイクで来たらまた違ったのかな。でもバイクでここまで来たらケツが痛くてそれどころじゃなかったかもしれない。わからない。


盛岡から北上までの電車が出るまでに一杯やっていこうと思い、『焼き味噌うに』の看板があった炉端焼きの店に入って焼き味噌うにと生ビールを頼んだ。

岩手産なのかどうか書いてないからわからなかったけど、めちゃくちゃ美味しかったよ!うにと山芋と味噌を混ぜたものを焼いて、生うにをかけてある。うにのやたら攻めてくる旨味と辛めの味噌のパンチと山芋の優しいほくほく感がいいバランスになっていて、うにをそのまま食べるより飽きない仕上がり(この後日本酒も飲んだ)。

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何となく酒を二杯頼むならつまみももう一つ頼もうかなと思い、黒そら豆を頼んだら、『黒糖そら豆』が来た。よく見たら『黒糖そら豆』だった。黒豆みたいなものかと思った。

間違えたかなと思って食べてみたら、これが素晴らしかった。そら豆に黒糖をまぶして揚げてある。うまく説明できないがとにかく相性がいいんだ。大豆の砂糖菓子とかじゃなくてこれをもっとはやらせてほしい。ダメ元で「持ち帰りとかで買えませんよね」と聞いてみたら快く包んでくれた。帰ってつなぽと食べる。

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電車を待つ間一杯のつもりが電車を二本見送っていた。酒も入っていい気持ちだったので、宿に着いたら明日のスケジュールを組んで早めに寝た。(三日目)


2017年8月13日岩手旅行留書(一日目)

2017年8月13日〜15日にかけて3日間岩手旅行に行ったのでその記録です。


    朝6時半に家を出る。大宮から新幹線に乗り、新花巻へ。比内地鶏の駅弁を食べたら眠くなってしまい、目が覚めたら仙台で早くも田んぼがたくさんあってびっくりした。


    新花巻で下りたら駅の窓から『山猫軒』の看板が見えて「あ、ここで合ってるな」と思った。宮沢賢治の『注文の多い料理店』に出てくる店の名前だ。今回岩手に行こうと思い立ったきっかけが、「新花巻の宮沢賢治童話村でライトアップをやってるらしい」というTwitter情報だったので、街も宮沢賢治推しだろうなとは思っていたがまさかここからとは。(この山猫軒は普通に土産屋と定食屋でした)

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駅前にも宮沢賢治の石碑があったりグッズが売っていたり推しまくっている。この時点で来てよかったと確信した。

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    花巻には宮沢賢治についての施設がいくつもあり、そのうち主要な三つを駅から遠い順にまわることにした(イーハトーブ館→宮沢賢治記念館→宮沢賢治童話村)。これらがある方面に向かう途中にも、地元の小学生?が描いたと思しき賢治童話の絵が飾ってあったり、童話のキャラクターの銅像があったりした。


    一つ目のイーハトーブ館には、主に宮沢賢治の学生時代の解説が展開されていた。(以下はその一部の概略)

銀河鉄道の夜』のカンパネルラのモデルとして名前を挙げられる人物としては、保阪嘉内と河本義行が挙げられる。二人とも盛岡高等農林学校時代の賢治の学友で、同人誌『アザリア』のメンバー。保阪とは二人きりで岩手山に登るなど、親交が深かった。賢治は保阪に熱心な法華経勧誘をして断られていた(後に和解)。河本は賢治の死の二ヶ月前に、水練中の学生を助けようとして溺死している。(メモ:イーハトーブ館資料より)


    カンパネルラのモデルが保阪嘉内だとしたら、カンパネルラが突然いなくなってしまったのは、賢治の法華経の理想について来なかったからなのか?それとも「みんなの本当の幸せを考える」ということが、宗教の対立も越えた向こう側にあるということが言いたかったのか。どっちなんだろうか。後者であると信じたい。


    また、イーハトーブ館には小さな視聴覚ホールもあり、賢治作品のアニメや解説動画が上映されていた。注文の多い料理店のアニメは面白かった。銀河鉄道の夜のCGアニメは正直イマイチだった。質感がラッセン臭い時点で受け付けないのだが、鳥捕りと乗車券のくだりを飛ばしたのが解せなかった。あのくだりがなかったら、銀河鉄道はどういう人が乗る列車なのかとかカンパネルラとジョバンニは一緒に行けないという暗示とかがわからなくなるじゃないか。


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    二つ目の宮沢賢治記念館は、博物館然とした空間に賢治の愛用品や直筆原稿の複製が並び、地学・農学・天文学・音楽・絵画・宗教・エスペラントなどの研究・製作成果物がジャンルごとに展示されていた。『星めぐりの歌』の作曲もしていたというからすごい。農家に農業のアドバイスをしていたというのは知っていたが、レコードを集めて学生に聴かせたり劇を書いて学生にやらせたりしていたというのは知らなかった。

    銀河鉄道の夜の原稿の中で、棒線で消されている箇所の記述に少し気になった箇所があった。ジョバンニが銀河ステーションに導かれるシーンで、『「あれはまるでチョコレートでできているみたいじゃないか」(チョコレートも光もエネルギーでできていることには変わりはない、この世界ではそういうことが起きないだけで起きるところでは起きるのだ)』というようなこと(うろ覚え)が書かれて消されていた。

これ、鳥捕りの伏線じゃないか?鳥捕りは『銀河鉄道の夜』の中では「そういう不思議なことが起こる世界もあるよ」というファンタジー感を出すためのキャラクターとして登場させられているのかもしれない。しかし、本当にそれだけなのか?あの世界観の中で鳥捕りだけ異常すぎて、何かもっと意味があるような気がして腑に落ちない。あの原稿はもうちょっと近くでじっくり見たかった。

    あとは『やまなし』の影絵が上映されていて、子どもが見ていた。「クラムボンは、死んだよ。」のくだりはカットされていた。まぁいいけども。見終わった子どもが「クラムボンって蟹のことなんだね」と言っていた。たぶん違うと思うよ。

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    三つ目の宮沢賢治童話村。ここがライトアップのところ。ライトアップは週末しかやってないとのことで、ここのためにバイクではなく新幹線で来たのだ。


    入り口、『十一時かっきりには着く』白鳥の停車場。

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広々とした草場が広がっていて、子どもが楽しそうに遊びまわっていた。

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ウッドハウスの中に子供でもわかりやすい展示がされている。夏休みの宿題に良さそう。入り口の表示だけ見ると中に入ったら食われそうだがそんなことはなかった。

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クマが出たらしく入れないところがあった。この辺は岩手。

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風の又三郎のオブジェ。かっこいい。イメージ変わった。

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そしてイルミネーション

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そんなに広範囲じゃないんだけど、一つ一つが精巧な作りで綺麗。『天気輪の柱』ってこんな感じかもしれない。良いものを見ました。



満足して宿(ビジホ)に向かおうとした…ところ、間違って反対方向の電車に乗ってしまい、無人駅で40分立往生した。周囲に電灯もなく本当に真っ暗だった。

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そして夢中になってまわっていたら、この日は駅弁と童話村の牛タン串と玉こん一本ずつしか食べ物を食べていなかった!素泊まりなのに!

「まぁ明日は小岩井だからそのぶん食べればいいさ」と思いながら若干お腹を空かせながらシャワって寝た。ビジホ初めて泊まったけど、ひとり旅の宿にはちょうどいいですね。(二日目に続く)


からだからの伝言

    私達は自分の身体の中を直接見ることはできないし、触ることもできない。

その薬がどうして頭痛に効くのかわからないまま薬を飲んでいる。食べた物がうんこになって出てくる確証はないのに、食べている。こんなにわからないままなのに、放っておいてもちゃんと機能してくれている肉体という機械は実際すごい。


    一方で生き物の肉体は、ときにあまりにも繊細でもろい。例えば掃除機の吸い込み口に物が詰まってしまったなら、何日も詰まったまま放っておいても詰まったものを取りさえすればすぐまた使えるようになる。しかしこれが生き物だと、喉に物を詰まらせたら大至急吐き出させなければ死んでしまう。三日後に手術して取り出せばいいやというわけにはいかない。


    肉体というものは、自分そのものでありながら、ある程度意識して操作もできるという、不思議な存在だ。自分で『こうなりたい』というイメージを持って肉体を変えたら、その肉体を持っている自分は、おそらく今とは違った考え方をするようになるだろう。


    だから、「自分の性格が嫌い」とか、「自分のキャラに飽きた」というときは肉体を変えることを考えるというのも一つの手なのではないか。今の自分が悩んでいることを、来年の自分も悩んでいるとは限らない。

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もう歩きスマホなんてしない

今週のお題「ちょっとコワい話」

 

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それはまさに今日のことであった。

 

「アラサーのセクマイでカラオケ行きたい」

Twitterでぼやいていたところ

「行きたい!」

とリプがついていたため、調子に乗った私はツイプラで『アラサーセクマイカラオケ』というスレを立て、新宿でオフ会をするべく動き出した。思えば先月浅草寺に行ったとき引いたおみくじが凶だったのだから、もっと慎重に行動すべきだったのだ…

 

スレを立てたのが朝の通勤時間帯。知り合いからの質問に答えたりしながら参加予約を待つ。仕事が始まり別棟に移動&小休止がてら、スレを覗く。朝10時くらいには最低企画人数の5人が集まっているのを確認、まぁ何とかなりそうだなと思いながらスマホをポケットに入れた。

 

   昼休みになったら、LINEにも質問が来ていた。『アラサーじゃないけど参加できるか?』話題がアラサーってだけだから別に大丈夫、と返す。そのときだった。

「何これ面白そう」

という突然のLINE。昔のバンドメンバーからだった。

「あれ?こいつセクマイだっけ?ていうかTwitter教えてたっけ?」

 

嫌な予感がほとばしり、私はドトールでLINEのトーク欄を片っ端からたぐった。

 

 

LINEのトーク欄に、無差別に『アラサーセクマイカラオケ』の告知メールの送信履歴が並んでいた

 

 

やばい、身内にまで送ってしまった!(父親は私のTwitterを知らない)

垢バレする!!!

 

速攻で「すみません間違えました!」と方々に送りまくったが、送信してしまったものはもう取り消し出来ない。父親トーク欄に送ってしまった告知文には無残にも『既読』の二文字が並んでいた。

 

とりあえず私は親友のアドバイス通り、ツイプラのスレを削除し、Twitterに鍵をかけ、TwitterIDを変えるという応急処置をとった。

父親から新たな既読はない。もうTwitterアカウントまでたどり着かれてしまったか…いや、そこまでするか?悶々としていると、また新たな通知がトーク欄に表示された。

 

 

JUN『送るの間違えてない?』

 

 

誰だこいつ?ああ、「JUN」ってことは弟か。いつの間にLINEの名前変えたんだ。

「ごめん、間違えた!」

とりあえず謝る。

JUN『まぁ興味ないし見てないけど笑』

まぁそりゃそうだろう。兄弟の開いてるオフ会とか別に興味ないわな。

JUN『Twitterやってるなら俺のアカウント見てもいいよ、病み垢だけど笑』

いや見たくないよ。興味ないよ。何が悲しくて兄弟のTwitter見なきゃいけないんだよ。

「いや本当に間違えただけだから大丈夫!」と返してお茶を濁した。

 

すると、JUNは『品の無い煽りと罵声を浴びせるだけのアカウント』とLINEネームを変えてきた。しかもプロフ欄に「あいつ死ねばいいのに」と書いてある。(自虐ネタとか、こいつ意外と粘着質に育ったな…)と思いながらトークルームを削除した。

 

そんな対応をしているうちに、別に父親だったらアカウントバレてもいいか、という境地に至ってきた。冗談がわからない人でもないし、母親にばらすことも多分ないだろう。別に見られて困るようなことも書いてないし。長いこと距離を置いていたが、母親はともかく、元々わだかまりがなかった父親とはもう和解してもいい頃合いかもしれない。いい潮時なのかもしれない。

 

しばらくして父親からLINEメールがきた。

「元気そうで何よりです(*^○^*)」

 

そうだ。この人は悪意はないのだ。ただ子供が元気でいてくれればそれでいいのだろう。Twitterも、たぶん見てないだろうし、こっそり見ていたとしても活動できなくなるような粘着はしてこないだろう。私は何となく、問題が発生する前よりどこか柔らかくなったような気持ちでLINEを閉じた。

 

 

しかし、なぜこんなことになってしまったのだろう?

調べた結果、ツイプラのスレの中に『LINE』のボタンがあり、それを押すと送る相手を選択する画面が出てきた。『送信』のボタンがやけにでかい。これで歩きスマホ中にとっさに画面を消さずにポケットに入れたときにでも誤送信したのだろう。歩きスマホ、ダメ、絶対。

 

あれ?

 

LINEの送信相手選択肢の中に、弟の本名の送り先が表示されている。アイコンも名前も元のままだ。何だ、変えてなかったのか。

 

 

『品の無い煽りと罵声を浴びせるだけのアカウント』って、誰だ?

 

1秒感チャレンジ

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    名前がある行為なのかわからないのだが、「ただ、1秒1秒が過ぎていくのを感じる」というのが好きでよくやっている。アナログ時計の秒針を見ながら、特にほかになにもせず、「ああ、時間が過ぎていってるなあ」とだけ感じていると、生きてるなあと思う。

 時間の無駄といえば無駄なのだが、時間を何かのために使わなければならないなんて誰が決めたのか。むしろ、何もしていない時間こそが純粋に「生きている時間」なのではないか。

 

 この「時間が流れていくのを感じる」ごっこは、中学の時に初めてラジオを聞いたときの「ラジオを聴いている人と発信している人と私は、今同じ時間を共有している!」という感動に端を発する。今1秒経った、その一秒を、西川貴教アジカンもマリリンマンソンも(どこで何をしているのかはわからないが)同じ地球上で一秒として通過したのだ。これはものすごいことだ。

 

 そんな風に考えると、一秒一秒がものすごく壮大に感じられてきて、「今生きてるなあ」というだけになる。細かいことがどうでもよくなってくる。どうせ死ぬまでこんな感じで1秒1秒が過ぎていって、死んでしまうんだ。何をしたとかしてないとか、大事なことだろうか?

 

 もちろん、死ぬまでの全部の時間を秒単位で感じ続けることは不可能だ。でも、やったことがない人はぜひやってみてほしい。時計を見て、秒針を見て、1秒が過ぎるのを見てほしい。このブログが存続してる間くらいなら、たぶん私はまだ生きているだろうから、あなたが目撃したその1秒は私にとっても同じ1秒だ。すべてのものは時間を共有している。そのことだけ見ても、全く無関係なんてことはない。