みやけばなし

毎週金曜更新

Twitterスタンプ

 役に立つイラストというのがあると思う。ポプテピピックが話題になったのは、TwitterやLINEでクソリプを送るときに汎用性が高すぎるからではないか。コミュニケーションツールとして使いやすいということになれば、絵を直接的に人の役に立てることができる。これは面白いマンガを描こうとかすごいイラストを描こうとかいうのとは別のベクトルで楽しいかもしれない。そう思い立って、何枚か描いてみた。

 

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 天才菌糸くん。無断転載を諫める。UNDERTALEの無断転載が話題になっていたので。無断転載されてしらばっくれられたらこれを貼ると場が和むのではないか。

 

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 ミュート推奨。ミュートしてもいいからフォローしてくれという気持ちは私にはよくわからない。ミュートされたらフォローされてないのと一緒では?気持ちの問題?

 

 

 

じゃあこれは?

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A.反応に困る(はんのう二個マル)

大喜利みたいになってきた。

 

 

 

 

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 ブロックを促すイラスト。理不尽な中傷や粘着を繰り返されたときに。「ブロック機能って知ってる?」よりは角が立たないのではないか。

 

 

 

 こんなところだろうか。

 Twitterで使えるフリー素材シリーズみたいなのないのかな。

 使う人がいるかわかりませんが一応、今日のイラストは転載自由です。(転載した結果起きた問題については三宅は責任を取りません)

 

 

冬の公約

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 11月に入って今年も終わりに近づいている。そろそろ来年の公約を立て始める頃合いだ。

 私は毎年12月の終わり頃までに来年の公約を3つ決めて、ツイッターの固定ツイート欄に貼っておくことにしている。(そうしておくと絶対に忘れないし、守らなければいけない気になる)

 

 今年はその公約にのっとってこのブログを更新してきたわけだが、書きたいことはだいたい書いたので来年は

  • マンガかイラストを毎日1枚描く
  • 三浦を毎日更新する
  • 死なない

の3つにする予定だ。

 

 実際一番難しいのは③だ。これは「自殺しない」というそのままの意味だけではなく、生活を持続可能な状態に保ち続けるためのすべてのことが含まれている。仕事に行って金を稼ぎ、食べ物を食べて清潔にして、気が狂わない程度に人間とも交流して、来年以降も絵が描ける肉体と環境を保ち続けなければ①と②も達成できなくなってしまう。しかも人間の世の中というのはおかしいもので、お金をもらうには対価を支払うだけでは飽き足りず、お金をもらうのにふさわしい人間であるという風に見せかけなければならない。これが本当に難しく、そのために私は大量に本を読み、権謀術数を張り巡らせて考え抜くことになる。

 

 おそらく私は2017年12月31日も三浦を描くだろうし、来年も絵を描いているだろう。しかし、その前に生きなければならない。今年はかなり苦戦を強いられたが、何とか生き延びることができた。来年もきっと大丈夫だろう。

描くというケツイ

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 2か月ほど前にUNDERTALEというゲームにめちゃくちゃハマってしまい、最近はTwitterに別アカウントを作ってその二次創作ばかり描いている。二次創作の絵を描くのは実は中学生以来だったりする。描きたいと思えるほどハマった漫画やアニメがなかったというのもあるが、なんとなく「二次創作は邪道、一次創作じゃないと描く意味がない」という無意識の縛りを自分に設けてしまっていたような気もする。

 それが、久しぶりにキャラクターの名前でGoogle検索をかけてみたら、出るわ出るわ、美麗なデジタルイラストの数々。十数年前とは比べ物にならないくらい作画ソフトの技術が進歩しているのだと実感させられた。その中で本当にものすごいイラストを見つけてしまい、「こういう絵が描けるようになりたい、この絵はアナログのペンだけじゃ絶対に描けない」と思ったら、いつの間にかずっと敬遠していたPhotoshopを開いていた。

 

 私は物分かりが悪い上に友達も少ないので、何か新しく趣味を始めようとしても出だしでよくわからなくてすぐ諦めてしまうことが多い。しかし、結局描きたい題材が見つかればそんなことは些細なことでしかなかった。Photoshopはまだほとんど使いこなせていないが、絵を描くのが楽しい、もっと新しい表現ができるようになりたいという気持ちだけで今のところ描けている。恐ろしいのは、いつこの気持ちが冷めてしまうかわからないということだ。きっといつか、UNDERTALEにも飽きてしまうときがくると思う。自分が飽きる前に今思いついているアイデアを全部描きだしてしまいわないと、結局描かないで終わってしまうだろう。それが怖くて、追われるように描いている。

 

 二次創作のいいところは、作品を好きな人が無条件に目を留めてくれるところだ。私のことを全く知らない人でも、#undertaleのタグをつけておけば私の絵を見に来てくれる。一つのキャラクターを多くの人が解釈していろいろな絵柄で表現しているのを見るのも楽しい。いろんな人の絵を見て「ここが良いな」と思ったところをかき集めていくと、自分が描くものに対する自分の満足度がどんどん上がっていく。感無量だ。

 

 絵は、完全に一人で完結できる。どんなに周りの人とうまくいかなくても絵は一人でも描くことができる。描きたいものがあって、それを描くことが楽しい人は、死ぬことができない。今日は「仕事をさせてくれ」と言いながら死んでいった手塚治虫先生の命日だが、自分は死ぬまでに、目が見えなくなるまでに、あるいは描くという『ケツイ』がなくなるまでにあと何枚絵が描けるのだろうか。考えているうちに描いた方がいい気がしてきた。

酒と涙とカフェラテとホットドッグ

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 酒は嫌いではないのだが、あまり強くないのでたくさん飲むことができない。

 私の中では酒は『食事に付属してくるもの』という認識で、特にこの種類の酒が好きというのがない。なので「酒何が好き?」と聞かれると困る。「ワインが好き」と言って高級ワインを焼きそばと一緒に出されても困る。

 酒自体の良し悪しより、「これはすごくビールに合うんだよ」と変わり種のつまみを出してくれた方がすごくうれしい。中華料理と飲む紹興酒は大好きだが、紹興酒単体で飲めと言われたらたぶん半杯も飲めない(黒酢と醤油とチョコレートを煮詰めて混ぜたたみたいな味がする)。そもそも酒単体で飲んでうまいと思える酒があんまりない気がする。酒だけで飲んでうまいのはライム入りコロナと良い日本酒とウイスキーとカクテルと梅酒くらいな気がする(結構あった)。

 

 酒を飲んだら気持ちは良くなるが、それ以降何もできなくなってしまうから一人の時はあまり飲まない。もう寝るしかないという時ならウイスキーを少しだけ飲む。でも飲んで寝ると眠りが浅くなるので、次の日が仕事の日はあまり飲みたくない。

 酒を飲むと意識がテキトーな感じになるので、行きたくもない職場の飲み会とかだと酒が飲める体質で良かったと思う。それでもやっぱり時間のムダだと思うので、職場の飲み会は半分くらいはパスすることにしている。仲のいい人との飲み会ならもちろん楽しく飲める。

 

 酒の何がいけないって食事という人間には不可欠な要素のすぐ近くにあって、それでいてダウナードラッグの効果もあるというのがヤバイのだと思う。単純に「おいしいから」という理由で酒を飲んでいる分にはそんなに問題なくて、酒で気持ちよくなれるからとか、酒を飲まないと不安になるとかいうのが危ないのではないか。よく「酒の力を借りて」とかいうが、自分で自分の意識のレベルを上げたり下げたりできる人は酒なんて飲まなくてもいいのだ。酒を飲めない人に酒を強要するのは、本当の酒好きのやることではない。

 

 ここまで酒について書いてきたが、別に酒なんて飲まなくたって生きていけるし、むしろ本当は飲まないほうが健康に良い。

 酒でも飲んでくかーというのが生活の一区切りになるというのはあるのかもしれないがそれは単なる惰性だと思う。私が仕事が終わってから職場最寄り駅のタリーズに入ってカフェラテとホットドッグを頼み、図書館で借りた本を消化するのも言ってみれば「一杯やっている」と言えるだろう。「いっちょ飲んでくかー」という気分で夜に飲むカフェインは寝つきに悪い。それでも飲んでしまう。カフェ中というのかわからないが依存している。

わたしの切手は53枚

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切手の絵を描いて気が付いたことがある。

 切手の周りはギザギザしている。切手シートは1枚1枚の切手を切り離しやすいように、切手同士の境目に小さなパンチ穴が開けられている。切手を手やハサミで切り取ると、シートだったころの境界線のギザギザの片側が残る。このギザギザが切手を切手たらしめていると思う。切手のギザギザが、昔切手が他の紙とつながっていた名残だと考えると感慨深い。

 100円切手だと速達を出す時などに隣り合った切手を切り離さずにそのまま貼ることもあるが、基本的には切手は切り離して使うものだ。82円切手ともなれば、シートの中で一緒の手紙に貼られることはまずない。

 郵便物に貼られている切手は、偶然一緒の郵便物に貼られたにすぎない。たまたま1つの封筒に貼られたから、力を合わせて荷物を遠くに運ぶために協力する。何だかドラマチックだと思う。切手が主人公の漫画があってもおかしくない気がしてくる。

 5000兆円切手があれば宇宙の彼方へでも物を送れるだろう。どんな大きなものでもどんな重いものでも送れるから、地球をブラックホールに送って滅亡させることもできそうだ。でも1枚だと1回送ったら終わりになってしまう。切手ははかないものなのだ。

 

UNDERTALE考察『僕たちはゴミ捨て場から生まれてきた』

【注意!】

この考察はToby Fox氏制作のRPG『UNDERTALE』のネタバレを多分に含みます。

未プレイの方はプレイ後にお読みいただくことを強く推奨します。本当に素晴らしいゲームです。

 

 

 

UNDERTALE考察『僕たちはゴミ捨て場から生まれてきた』

1.メタトンは本当にトランスジェンダーなのか

2.UNDERTALEはナプスタとメタトンの「成り上がり物語」

3.外に出ることは幸せか?

4.僕たちはゴミ捨て場から生まれてきた

 

1.メタトンは本当にトランスジェンダーなのか

 この考察を書くきっかけになったのは、YouTubeのUNDERTALE関連動画コメント欄に、メタトンの性別論争に交じって興味深い意見を見つけたことだった。

 

 プレイ済みの方(そしてホテル裏の店でカギを買ってナプスタの隣の家に入った方)はわかっていることとは思うが一応確認しておくと、メタトンの正体は失踪したナプスタのいとこである。メタトンはもともとナプスタと一緒に暮らしていたが、アルフィーに肉体の製作を持ち掛けられ、憧れていたスターになるために家出をし、ロボットの肉体を得て地下世界のスターになった。そのメタトンがゴースト時代に暮らしていた家の中がやたらピンクピンクしていたために、「メタトンはゴースト時代女性だったのでは?」という憶測が一部のプレイヤーの間で話題になったのだ。部屋ではメタトンの日記も読むことができる。「ほしい にくたいは どこをさがしたって みつかりっこないんだから。」セクシャルマイノリティの読者の皆様には何か思い当たるところがあるのではないか。そう、このメタトンの日記、未パスのトランスジェンダーのぼやきにそっくりなのである。

 

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(ナプスタの家の隣にある、メタトンの家。メタトンの日記を読むことができる)

 

 しかし、部屋がピンクだからといって、女性だと決めつけるのは野暮なのではないか?

 作者のToby Fox氏は、女性キャラであるアンダインやアルフィーを、男性キャラの性対象やトロフィーではなく、完全に確立した個人として描いている。また、女性同士・男性同士のカップルが性別については何のツッコミもいじられもしない形で自然に登場する。ここまできちんとしたポリティカルコレクトネスを持った作者が、今さら「女性=ピンク」などという悪名高いステレオタイプを持ち出すとは考えにくい。

 そう考えていたとき、「メタトンはマイケル・ジャクソンのオマージュなのではないか」というコメントをYouTubeのコメント欄で見つけた。だとしたらものすごく腑に落ちる。家族からの脱却と自己イメージの追求、そしてその手段としての整形は、主人公の目的として設定されている「今いる場所から出ていくこと」とも重なるものがある。

 

 

 2.UNDERTALEはナプスタとメタトンの成り上がり物語

このゲームの真エンドとされているTrue Pacifistルート(Pルート)のラストでは、アズリエルが、吸収した地下世界のモンスターたちの力を借りて決壊を壊し、モンスターと主人公は地上に出ていくことができるようになる。しかし、一人だけアズリエルに吸収されなかったために事態を理解していなかったモンスターがいた。ナプスタだ。なぜそんなことになってしまったのか。

 

 メタトンはスターであるとともに従業員思いの良い経営者でもある(たぶん)が、基本的には自分のことしか考えていない。主人公を殺そうとしたのも、自分が地上に出ていってスターになりたかったからだった。主人公との戦闘中にナプスタがメタトンに電話をかけたからこそ、メタトンは自分の共同体(ゴースト一家とモンスターの世界)の『共通善』を受け入れることができた。ファンがいるからこそスターでいられると気付くことで、メタトンは最終的に、「出ていかない」という選択をしたことになる。

 その一方でメタトンが家出してフリスクと出会い、ナプスタを迎えに行ったから、ナプスタはPルートの最後で地上に「出ていく」ことになった。ナプスタはメタトンがいなくなったことでふさぎがちになり、アズリエルが吸収しようとしたときも『カーテンを閉めていた』ために吸収されなかった。これは、ナプスタがほかのモンスターと心の底からは交流しておらず、モンスターの社会に適応できていないことを暗に示しているのではないか。(「ゴーストだから吸収されなかったのでは」という説があるが、同じゴーストであるメタトンが主人公をフリスクと呼んでいるので矛盾が生じる)メタトンが迎えに行かなかったら、ナプスタは家から出なかった可能性が高い。

 

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(メタトンがナプスタをブルっちと呼んでいる以上、『ハピスタブルーク』は本名ではなさそう) 

 

 自己のあり方についての考え方には、「アイデンティティは白紙の状態から個人の選択によって作られる」というリベラリズムアイデンティティ観と、「属するコミュニティの影響なしにアイデンティティは成立し得ない」とするコミュニタリアニズムアイデンティティ観が存在する。

 自分の夢を優先し、『個人の権利』に基づいてあくまでもリベラルな立場を取ろうとするメタトンと、代々続いてきた牧場を守り、ゴーストとしての『共通善』を全うしようとするコミュニタリアンなナプスタが、偶然とはいえお互いに歩み寄ることができたからこそ最適な結果に行きついたのではないか。

 メタトンとナプスタの性格と行動は互いに正反対だが、両方がいたから二人は最終的に地上に出ることができるようになった。この視点から見ると、UNDERTALEはナプスタとメタトンの成り上がり物語としても読むことができる。

 

 

3.外に出ることは幸せか?

 

 UNDERTALEは、全体としてみると非常にリベラルなゲームであると言える。

主人公は『無知のヴェール』をかけられているがごとく、アイデンティティが存在しない。プレイヤーの選択と行動によって、主人公の立場や特性、コミュニティ、ストーリーの結末がきめ細やかに変わってゆく。これはあらかじめ用意されたアイデンティティを持つ主人公が、その特長を発揮しながら自身のコミュニティを守る(あるいは奪還する)という従来のRPGコミュニタリアニズム的世界観とは真逆のものだ。主人公の『個人の権利』(地上に帰りたい)は、地下のモンスター達の『共通善』としばしば相反する。主人公は、徹頭徹尾さまざまなキャラクターから「なぜ地上に帰りたいのか」「このまま地下で暮らしたらいいじゃないか」と何度も問われることになる。

 

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(いろいろな人から引き留められるフリスクは幸せ者なのかもしれない)

 

 その問いかけに対して、互いに傷つけ合わずにすむ方法を模索することも、強行突破することも同時に選択肢として与えられている。このゲームの真のテーマは、地上に帰ることではない。居場所を探して決めること、そのために選択することなのだ。

 

 

4.僕たちはゴミ捨て場から生まれてきた

 UNDERTALEのモンスターたちは、人間の世界である地上から流れてくる雑多なゴミから様々なものを拾い出し、独自の文化を築き上げている。知識としては持っているが、何が本当でどうつながっているかはよくわかっていなかったりする。子供のころにすでにインターネットが存在した私の世代には、親近感がわく世界観だ。

 インターネットには、いつどこの誰が投稿したのかも知れない、真偽不明の魅力的な情報が大量に投げ込まれている。テレビや新聞を見ている時間より、動画サイトやSNSを見ている時間の方が長い。画一された情報ではないから、カオスな情報の海から自分の感覚や好き嫌いだけで娯楽を探すようになる。自分は何が好きで、何が自分らしくて、自分の居場所はどこなのか、そのすべてを自分で選びださなければいけない。しかし、そんなゴミ捨て場のような場所から生まれてきた自我が、確固としたアイデンティティを持つなんてことが本当に可能なんだろうか?

 

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(ゴミ捨て場で目覚めるフリスク

 

 現実の世界では、国際結婚、グローバル化多文化主義などが進み、コミュニティに属する者としてのアイデンティティは一枚岩にとらえることができなくなってきている(アイデンティティの重層化)。共通の価値を設定することが難しい中で、答えのない決断を迫られる場面がますます増えるだろう。インターネット世代では、文化を自ら選択し、自らのアイデンティティを自分で取捨選択する力が必要になる。

 その意味でUNDERTALEは、コミュニティから派生した自らの特性と、個人として持つ自己実現欲求を衡量した上で、自らのアイデンティティを意識的に選びなおす力が問われるゲームとして、現代っ子にとって非常にリアリティのあるテーマ設定をしていると言える。Pルート最後の選択肢は「今いるコミュニティから出てもいいし、出なくてもいい。世界は一つだし、壁はない。我々はうまくやっていける」というメッセージなのだ。

 

 インターネットを文化の一次ソースとして育ってきた世代が成人になり、既存の体系を前提とした文化に殴り込みをかけてくる。壁を壊して地上に出てきたモンスターたちは、地上の人間たちとうまくやっていけるのか。実際のところがわかるのは、これからなのかもしれない。

 

 

 …3700文字くらい書いたけど、これをメタトンのエッセイに書き込みたいなぁ!(終)