みやけばなし

毎週金曜更新

シナモン採掘場

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 シナモンスティックはそれ自体は味がしない。しかしシナモンを入れるとおいしくなるものはたくさんある。

 シナモンが合わないものももちろんある。青魚ばかりの家に生まれたシナモンの子供は可哀想だと思う。「お隣の醤油ちゃんはあんなに塩味とコクがあるのに、それに比べてうちの子は」などと言われるのだろう。シナモンに醤油と同じ効用を求めるのは間違っているし、青魚と合わないという理由だけでシナモンの価値を全否定するのはおかしい。そもそもシナモンは調味料じゃないし。

 

 環境によって良さがその良さが評価されないということは往々にしてあると思う。シナモン自体の香りが好きな人と嫌いな人がいる。シナモンそのものの香りが嫌いだと、シナモンに合うものを探そうという気持ちにもならないかもしれない。大嫌いな甘いお菓子に使われるシナモンは、大好きな肉料理と相性抜群かもしれないのに。

 

 ものの価値を正当に評価するのは難しいし、自分に合うものを探すということはなおさら難しい。自分の興味範囲外の場所にあるかもしれない自分の好きなものを掘り当てるというのは大変に骨の折れる作業だ。そういうときに、自分と趣味の近い友人がいるということは良いことだ。その友人が良いというものは、自分にとっても良い可能性が高い。あるいは興味範囲が全然違う友達がいれば、その友達は自分なら絶対に掘らないような場所まで出向いて行って全く見たこともないようなものを掘ってきてくれるかもしれない。

 この世は宝石と地雷が両方埋まっている巨大な洞窟のような場所だと思う。宝石を加工して新しいものを作ることもできる。しかし洞窟を掘るにも何人かで掘ったほうが効率が良い。友達は無理してまで作るものではないが、趣味が合う友達がいるのに越したことはない。

 

 

奥地の恋人

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 チョコレートは体に悪い。脂肪分と砂糖の塊だから食べ過ぎると太るし、歯につくと虫歯になるし、食べなくても生きていける。しかしチョコレートを食べないでいると、チョコレートゲージのようなものが徐々に溜まっていってしまう。チョコは他に似ている食べ物がないので、チョコを食べることでしかそのゲージを埋められない。

 

 中学のとき、バレンタインデーにチョコを作った後に大量にチョコを余らせてしまい、一度にどれだけチョコを食べられるかチャレンジしたことがある。最初はおいしかったのだが、800gくらい食べたところで胃もたれの限界がきて肌がざわざわしだしたのでやめた(板チョコ1枚は約60g)。2日後に体重計に乗ってみたら2kg増えていた。質量保存の法則に反しているなとびっくりした。しばらく顔がベタベタザラザラするわニキビがすごいわで大変だった。チョコは体に悪い。依存性があるものを一度に摂取すると具合が悪くなってしばらく摂取したくなるというが、このときもしばらく食べられなくなった。

 

 チョコレートを食べ終わると、どうしてチョコレートを食べる必要があるんだろう?と思うのに、定期的にチョコレートを食べたくなる。チョコレートしかおいしく感じない舌だったら大変なことになっていたかもしれない。しかし実際にはチョコレート以外の食べ物にもたくさん『ゲージ』が存在しているので、モグラたたきのようにゲージが減った食べ物からいろいろ周回して食べていて、結果として病気になったりはしていない。たくさんのものに依存していれば問題は起こらないということなのだろうが、実は危ういバランスだと思う。ヘロインを摂取すると快楽の基準がおかしくなってヘロイン以外何をしても楽しくなくなってしまうらしいが、頭がおかしくなるほどおいしいチョコレートに出会ってしまったら、私はそれしか食べられなくなってしまうかもしれない。こわい。

 今のところはリンツのリンドールという球体のチョコレートが一番好きだ。あれは甘いとか苦いとかじゃなく、『肘を思いっきりぶつけたときにあまりにも痛すぎて頭まで痛くなってきた』という感触がする。味というより直接脳の奥に響いてくる。チョコレートは食べ物ではないのかもしれない。

注射クリムゾン

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 注射が苦手だ。小さいころから嫌いすぎる。目を閉じて歯を食いしばって顔を中心に集めないと耐えられない。刺されている最中は足が宙に浮いている。注射が終わると「はーいもう終わりましたからねー」と言われる。昔手術前検査のために医者で採血されたとき、あまりにも痛い顔をしていたせいか『いたみによわい』とカルテに書かれたことがある。べつに泣いたりわめいたりしているわけじゃないのにあんまりだ。でもその医者は親知らずを抜いた後「ものがつまります、納豆とか」と言ったらカルテに『なっとう』と書いていたので、単に筆マメなだけなのかもしれない。

 

 注射がこわいというより、細いもので刺されるのがこわい。想像したとき、腕をもぎ取られるより、針を爪と指の隙間に打ち込まれるとか、針を目に刺されるとかのほうがこわいと感じる。ダメージとしては間違いなく腕をもぎ取られる方が大きいはずなのに不思議だ。

 

 本当に嫌なので、注射がある日が近づくと、注射が終わったところまで時間を飛び越せないかなと考える。注射の順番が来たら意識がなくなって、気が付いたら注射が終わっていればいいのにと思う。注射が一瞬で終わることは経験上わかっているし、打たないよりは打った方がいいに決まっている。しかしその一瞬が嫌すぎるので、注射を打つという時間だけが消し飛んで結果だけが残ればいいのにと思ってしまう。

 

 同じようなことを眠れない夜にも思うことが多かった。

隣で寝ている弟は、もう明日の朝に先に行ってるのだろうか、と考える。意識がなくてもここにいることには変わらない。しかし何も感じていないから、弟の中では体感としては今は時間が流れていないことになる。じゃあ今弟はどこにいるんだろう?どこでもないところに行っているのか?それって死んでるのとほぼ変わらないのでは?毎晩こんなことをしていて、みんな大丈夫なんだろうか?よくちゃんと毎朝帰ってこられるなあ。そんなことを考えていると余計に眠れなくなる。

 

 楽しいときや夢中になっているときに時間が飛ぶように過ぎていく。その時の私は、そこにいるように見えてそこにはいない。じゃあどこにいるんだろう?みんなはどこにいるんだろう?確かなのは、注射を打たれているとき私は医者の前にいて、歯を食いしばっていて、注射は痛いということだけだ。私は『ここ』にいるのが嫌だから注射が嫌いなのかもしれない。

回復まであと4分33秒

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 時間制で行動ポイントを回復するようなタイプのゲームを長く続けることができない。

 

 昨日ぶつ森を始めたが、1日で呼べる友達の上限と思われる7人をキャンプ場に集めてしまい、早くも「3時間に1回起動して周辺の素材を採集し、クラフトを予約して閉じる」というサイクルができはじめてしまった。こうなるともう作業ゲーでしかなくなる。また1週間くらいで飽きてしまうだろう。

 

 ソシャゲにおいて、「このサイクルで行うと効率が良い」などということを考えるのはそれ自体が無駄なことだと思う。最初の一日でやりこみすぎるのが悪いのだろうが、ゲームをやり始めると楽しくなりすぎて、最初の1日で7時間とか10時間とかやってしまう。ソシャゲは、やり始めの頃は初心者ボーナスポイントがついてくるので、最初のうちは時間を空けなくてもずっとプレイできてしまうのだ。そして、『このサイクルで作業を繰り返せば行動ポイントを無駄にせずに一定のペースでレベルを上げることができる』というリズムが見定まった瞬間、ものすごい満足感と倦怠感が同時に襲ってくる。

 

 自分の没頭癖を棚に置いて考えると、ソシャゲには『上手くなる』という要素がほぼないことが原因なのではないかと思う。ソシャゲはいくら操作がうまくなっても3時間なら3時間待たなければ次の行動をとることができない。無課金プレイヤーにとっては作業効率に不変の『最適解』が存在する。そしてプロゲーマーの初心者は重課金の素人に勝てない。単純にそのゲームに費やした時間と出した金の総量で強さが決まってしまう。サービス開始直後はみんなのレベルにそんなに差がないが、時間がたつにつれ重課金・常時ログインの猛者が跋扈しだすと、なんだかむなしくなってくる。そこで、ソシャゲをやめてしまう。

 

 ソシャゲが嫌いなわけではない。ソシャゲを一気にやれるところまでやって、速攻で飽きてやめると頭がすっきりする。他のことでは味わえない独特な感覚だとも思う。ただ、そういうことをしているとソシャゲを続けることができない。みんなはどうやって続けているんだろう。

 

 

Twitterスタンプ

 役に立つイラストというのがあると思う。ポプテピピックが話題になったのは、TwitterやLINEでクソリプを送るときに汎用性が高すぎるからではないか。コミュニケーションツールとして使いやすいということになれば、絵を直接的に人の役に立てることができる。これは面白いマンガを描こうとかすごいイラストを描こうとかいうのとは別のベクトルで楽しいかもしれない。そう思い立って、何枚か描いてみた。

 

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 天才菌糸くん。無断転載を諫める。UNDERTALEの無断転載が話題になっていたので。無断転載されてしらばっくれられたらこれを貼ると場が和むのではないか。

 

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 ミュート推奨。ミュートしてもいいからフォローしてくれという気持ちは私にはよくわからない。ミュートされたらフォローされてないのと一緒では?気持ちの問題?

 

 

 

じゃあこれは?

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A.反応に困る(はんのう二個マル)

大喜利みたいになってきた。

 

 

 

 

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 ブロックを促すイラスト。理不尽な中傷や粘着を繰り返されたときに。「ブロック機能って知ってる?」よりは角が立たないのではないか。

 

 

 

 こんなところだろうか。

 Twitterで使えるフリー素材シリーズみたいなのないのかな。

 使う人がいるかわかりませんが一応、今日のイラストは転載自由です。(転載した結果起きた問題については三宅は責任を取りません)

 

 

冬の公約

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 11月に入って今年も終わりに近づいている。そろそろ来年の公約を立て始める頃合いだ。

 私は毎年12月の終わり頃までに来年の公約を3つ決めて、ツイッターの固定ツイート欄に貼っておくことにしている。(そうしておくと絶対に忘れないし、守らなければいけない気になる)

 

 今年はその公約にのっとってこのブログを更新してきたわけだが、書きたいことはだいたい書いたので来年は

  • 三浦を毎日更新する
  • 三浦以外にマンガかイラストを毎日1枚以上描いて更新する
  • 死なない

の3つにする予定だ。

 

 実際一番難しいのは③だ。これは「自殺しない」というそのままの意味だけではなく、生活を持続可能な状態に保ち続けるためのすべてのことが含まれている。仕事に行って金を稼ぎ、食べ物を食べて清潔にして、気が狂わない程度に人間とも交流して、来年以降も絵が描ける肉体と環境を保ち続けなければ①と②も達成できなくなってしまう。しかも人間の世の中というのはおかしいもので、お金をもらうには対価を支払うだけでは飽き足りず、お金をもらうのにふさわしい人間であるという風に見せかけなければならない。これが本当に難しく、そのために私は大量に本を読み、権謀術数を張り巡らせて考え抜くことになる。

 

 おそらく私は2017年12月31日も三浦を描くだろうし、来年も絵を描いているだろう。しかし、その前に生きなければならない。今年はかなり苦戦を強いられたが、何とか生き延びることができた。来年もきっと大丈夫だろう。

描くというケツイ

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 2か月ほど前にUNDERTALEというゲームにめちゃくちゃハマってしまい、最近はTwitterに別アカウントを作ってその二次創作ばかり描いている。二次創作の絵を描くのは実は中学生以来だったりする。描きたいと思えるほどハマった漫画やアニメがなかったというのもあるが、なんとなく「二次創作は邪道、一次創作じゃないと描く意味がない」という無意識の縛りを自分に設けてしまっていたような気もする。

 それが、久しぶりにキャラクターの名前でGoogle検索をかけてみたら、出るわ出るわ、美麗なデジタルイラストの数々。十数年前とは比べ物にならないくらい作画ソフトの技術が進歩しているのだと実感させられた。その中で本当にものすごいイラストを見つけてしまい、「こういう絵が描けるようになりたい、この絵はアナログのペンだけじゃ絶対に描けない」と思ったら、いつの間にかずっと敬遠していたPhotoshopを開いていた。

 

 私は物分かりが悪い上に友達も少ないので、何か新しく趣味を始めようとしても出だしでよくわからなくてすぐ諦めてしまうことが多い。しかし、結局描きたい題材が見つかればそんなことは些細なことでしかなかった。Photoshopはまだほとんど使いこなせていないが、絵を描くのが楽しい、もっと新しい表現ができるようになりたいという気持ちだけで今のところ描けている。恐ろしいのは、いつこの気持ちが冷めてしまうかわからないということだ。きっといつか、UNDERTALEにも飽きてしまうときがくると思う。自分が飽きる前に今思いついているアイデアを全部描きだしてしまいわないと、結局描かないで終わってしまうだろう。それが怖くて、追われるように描いている。

 

 二次創作のいいところは、作品を好きな人が無条件に目を留めてくれるところだ。私のことを全く知らない人でも、#undertaleのタグをつけておけば私の絵を見に来てくれる。一つのキャラクターを多くの人が解釈していろいろな絵柄で表現しているのを見るのも楽しい。いろんな人の絵を見て「ここが良いな」と思ったところをかき集めていくと、自分が描くものに対する自分の満足度がどんどん上がっていく。感無量だ。

 

 絵は、完全に一人で完結できる。どんなに周りの人とうまくいかなくても絵は一人でも描くことができる。描きたいものがあって、それを描くことが楽しい人は、死ぬことができない。今日は「仕事をさせてくれ」と言いながら死んでいった手塚治虫先生の命日だが、自分は死ぬまでに、目が見えなくなるまでに、あるいは描くという『ケツイ』がなくなるまでにあと何枚絵が描けるのだろうか。考えているうちに描いた方がいい気がしてきた。