最終回転

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 今年一年で精神的にかなり変わりました。いろいろな意味で覚悟ができたというか、吹っ切れたというか。吹っ切れたので、ここで書けることが大してありません。

 

 みなさんにとって、この一年はどんな一年だったんでしょうか。今年一年を振り返り、来年一年どんなふうに生きていくか、考える時期だと思います。私は毎年この時期に『来年一年も生きていたいかどうか』を真剣に考えます。まだやりたいことがあるので生きていたいと思えたら、来年の目標を立てます。そうすると、来年末まではとりあえず死なずに済みます。

 

 今年も三浦を描いてブログを描いて死なないという目標を概ね達成することができました。概ねというのは、三浦が日をまたいでしまったことが2度ありました。1日は高熱を出していた日、もう1日は新宿のミックスバーで夜中まで飲んでいたら「階下で刃傷沙汰があったのでシャッターを閉めて店内待機してください」という通報が入り、朝まで店から出られなかった日でした。人生にはそういうこともあります。

 

 自分にとって絵を描くということは、手回しオルゴールの取っ手を回すようなものだと思っています。オルゴールって、音が鳴ってないとただの箱にしか見えないじゃないですか。それと同じで、周期的に、毎日とか毎週とか描くことに意味があるんじゃないでしょうか。オルゴールが音楽に聞こえるのは、中のシリンダーに並んだピンが回転してうまいこと櫛歯をはじくからなんですけど、シリンダーに櫛歯を並べて、手で一生懸命回して、音を出していないと私はただの箱になってしまうんですよ。

 

 このブログも今日で終わりです。一年間書き続けてネタもなくなったし、書きたいことが書けたので満足しています。またどうしても長文で書きたいことが出てきたりしなければそうそう使うこともないと思います。年の瀬も押し迫ってまいりましたがせっかくの年末年始休み、みんな風邪とかひかないようにね。一年間ありがとうございました。

ブラック・ブラック・ホール

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 本気で人を殺したいと思ったことがない。殺しても社会的な制裁が全くなかったとしたら殺したかった人はいるが、人生棒に振ってでもこいつは殺さなくちゃダメだというような奴にはお目にかかったことがない。

 小説やニュースで見る限り、私が人を殺したことがないのは単に運が良かったからに過ぎないのだろうと思う。羅生門みたいな殺さなければ生きていけない環境でもないし、親に対しても『今こいつを殺すより成長するまでおためごかして金をむしれるだけむしり取ってやる方が良い』と踏みとどまるだけの心の余裕があった。『殺して何年か豚箱に入って前科がついてでもこいつを殺した方が自分の人生がマシになる』というシチュエーションがあったら殺していたかもしれないと思うのだ。

 ただ、義憤というものだけは本当にわからない。たくさんの人を殺す人がいる。しかしその人の罪とその人が死ぬべきかどうかというのは、私には全然別の問題であるように感じられる。悪名高い政治家が死んだときに仮装して喜ぶ民衆の様子が新聞に載ったりするが本当にわからない。どんなことをした人であっても、死んだということが重すぎて笑ったり喜んだりする余裕が私にはない。

 何となく、普通に元気で活動している人を無理やり殺してしまうと、殺して倒れた人が今まで立っていた空間にブラックホールのような穴があいてしまうような気がする。人がいなくなった部分に引力を持った真っ黒い穴が現れて、そこから世界が崩壊してしまうような気がする。でもきっと実際に殺してみたらそんなことは起こらなくて、『え?そんな人は最初からいませんでしたよ?』という顔をしてそのまま世界が存在し続けてしまうのだろう。行動したことに対して起こる反応が薄すぎる。想像しただけであまりにも恐ろしい。

 

シナモン採掘場

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 シナモンスティックはそれ自体は味がしない。しかしシナモンを入れるとおいしくなるものはたくさんある。

 シナモンが合わないものももちろんある。青魚ばかりの家に生まれたシナモンの子供は可哀想だと思う。「お隣の醤油ちゃんはあんなに塩味とコクがあるのに、それに比べてうちの子は」などと言われるのだろう。シナモンに醤油と同じ効用を求めるのは間違っているし、青魚と合わないという理由だけでシナモンの価値を全否定するのはおかしい。そもそもシナモンは調味料じゃないし。

 

 環境によって良さがその良さが評価されないということは往々にしてあると思う。シナモン自体の香りが好きな人と嫌いな人がいる。シナモンそのものの香りが嫌いだと、シナモンに合うものを探そうという気持ちにもならないかもしれない。大嫌いな甘いお菓子に使われるシナモンは、大好きな肉料理と相性抜群かもしれないのに。

 

 ものの価値を正当に評価するのは難しいし、自分に合うものを探すということはなおさら難しい。自分の興味範囲外の場所にあるかもしれない自分の好きなものを掘り当てるというのは大変に骨の折れる作業だ。そういうときに、自分と趣味の近い友人がいるということは良いことだ。その友人が良いというものは、自分にとっても良い可能性が高い。あるいは興味範囲が全然違う友達がいれば、その友達は自分なら絶対に掘らないような場所まで出向いて行って全く見たこともないようなものを掘ってきてくれるかもしれない。

 この世は宝石と地雷が両方埋まっている巨大な洞窟のような場所だと思う。宝石を加工して新しいものを作ることもできる。しかし洞窟を掘るにも何人かで掘ったほうが効率が良い。友達は無理してまで作るものではないが、趣味が合う友達がいるのに越したことはない。

 

 

奥地の恋人

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 チョコレートは体に悪い。脂肪分と砂糖の塊だから食べ過ぎると太るし、歯につくと虫歯になるし、食べなくても生きていける。しかしチョコレートを食べないでいると、チョコレートゲージのようなものが徐々に溜まっていってしまう。チョコは他に似ている食べ物がないので、チョコを食べることでしかそのゲージを埋められない。

 

 中学のとき、バレンタインデーにチョコを作った後に大量にチョコを余らせてしまい、一度にどれだけチョコを食べられるかチャレンジしたことがある。最初はおいしかったのだが、800gくらい食べたところで胃もたれの限界がきて肌がざわざわしだしたのでやめた(板チョコ1枚は約60g)。2日後に体重計に乗ってみたら2kg増えていた。質量保存の法則に反しているなとびっくりした。しばらく顔がベタベタザラザラするわニキビがすごいわで大変だった。チョコは体に悪い。依存性があるものを一度に摂取すると具合が悪くなってしばらく摂取したくなるというが、このときもしばらく食べられなくなった。

 

 チョコレートを食べ終わると、どうしてチョコレートを食べる必要があるんだろう?と思うのに、定期的にチョコレートを食べたくなる。チョコレートしかおいしく感じない舌だったら大変なことになっていたかもしれない。しかし実際にはチョコレート以外の食べ物にもたくさん『ゲージ』が存在しているので、モグラたたきのようにゲージが減った食べ物からいろいろ周回して食べていて、結果として病気になったりはしていない。たくさんのものに依存していれば問題は起こらないということなのだろうが、実は危ういバランスだと思う。ヘロインを摂取すると快楽の基準がおかしくなってヘロイン以外何をしても楽しくなくなってしまうらしいが、頭がおかしくなるほどおいしいチョコレートに出会ってしまったら、私はそれしか食べられなくなってしまうかもしれない。こわい。

 今のところはリンツのリンドールという球体のチョコレートが一番好きだ。あれは甘いとか苦いとかじゃなく、『肘を思いっきりぶつけたときにあまりにも痛すぎて頭まで痛くなってきた』という感触がする。味というより直接脳の奥に響いてくる。チョコレートは食べ物ではないのかもしれない。

注射クリムゾン

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 注射が苦手だ。小さいころから嫌いすぎる。目を閉じて歯を食いしばって顔を中心に集めないと耐えられない。刺されている最中は足が宙に浮いている。注射が終わると「はーいもう終わりましたからねー」と言われる。昔手術前検査のために医者で採血されたとき、あまりにも痛い顔をしていたせいか『いたみによわい』とカルテに書かれたことがある。べつに泣いたりわめいたりしているわけじゃないのにあんまりだ。でもその医者は親知らずを抜いた後「ものがつまります、納豆とか」と言ったらカルテに『なっとう』と書いていたので、単に筆マメなだけなのかもしれない。

 

 注射がこわいというより、細いもので刺されるのがこわい。想像したとき、腕をもぎ取られるより、針を爪と指の隙間に打ち込まれるとか、針を目に刺されるとかのほうがこわいと感じる。ダメージとしては間違いなく腕をもぎ取られる方が大きいはずなのに不思議だ。

 

 本当に嫌なので、注射がある日が近づくと、注射が終わったところまで時間を飛び越せないかなと考える。注射の順番が来たら意識がなくなって、気が付いたら注射が終わっていればいいのにと思う。注射が一瞬で終わることは経験上わかっているし、打たないよりは打った方がいいに決まっている。しかしその一瞬が嫌すぎるので、注射を打つという時間だけが消し飛んで結果だけが残ればいいのにと思ってしまう。

 

 同じようなことを眠れない夜にも思うことが多かった。

隣で寝ている弟は、もう明日の朝に先に行ってるのだろうか、と考える。意識がなくてもここにいることには変わらない。しかし何も感じていないから、弟の中では体感としては今は時間が流れていないことになる。じゃあ今弟はどこにいるんだろう?どこでもないところに行っているのか?それって死んでるのとほぼ変わらないのでは?毎晩こんなことをしていて、みんな大丈夫なんだろうか?よくちゃんと毎朝帰ってこられるなあ。そんなことを考えていると余計に眠れなくなる。

 

 楽しいときや夢中になっているときに時間が飛ぶように過ぎていく。その時の私は、そこにいるように見えてそこにはいない。じゃあどこにいるんだろう?みんなはどこにいるんだろう?確かなのは、注射を打たれているとき私は医者の前にいて、歯を食いしばっていて、注射は痛いということだけだ。私は『ここ』にいるのが嫌だから注射が嫌いなのかもしれない。

回復まであと4分33秒

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 時間制で行動ポイントを回復するようなタイプのゲームを長く続けることができない。

 

 昨日ぶつ森を始めたが、1日で呼べる友達の上限と思われる7人をキャンプ場に集めてしまい、早くも「3時間に1回起動して周辺の素材を採集し、クラフトを予約して閉じる」というサイクルができはじめてしまった。こうなるともう作業ゲーでしかなくなる。また1週間くらいで飽きてしまうだろう。

 

 ソシャゲにおいて、「このサイクルで行うと効率が良い」などということを考えるのはそれ自体が無駄なことだと思う。最初の一日でやりこみすぎるのが悪いのだろうが、ゲームをやり始めると楽しくなりすぎて、最初の1日で7時間とか10時間とかやってしまう。ソシャゲは、やり始めの頃は初心者ボーナスポイントがついてくるので、最初のうちは時間を空けなくてもずっとプレイできてしまうのだ。そして、『このサイクルで作業を繰り返せば行動ポイントを無駄にせずに一定のペースでレベルを上げることができる』というリズムが見定まった瞬間、ものすごい満足感と倦怠感が同時に襲ってくる。

 

 自分の没頭癖を棚に置いて考えると、ソシャゲには『上手くなる』という要素がほぼないことが原因なのではないかと思う。ソシャゲはいくら操作がうまくなっても3時間なら3時間待たなければ次の行動をとることができない。無課金プレイヤーにとっては作業効率に不変の『最適解』が存在する。そしてプロゲーマーの初心者は重課金の素人に勝てない。単純にそのゲームに費やした時間と出した金の総量で強さが決まってしまう。サービス開始直後はみんなのレベルにそんなに差がないが、時間がたつにつれ重課金・常時ログインの猛者が跋扈しだすと、なんだかむなしくなってくる。そこで、ソシャゲをやめてしまう。

 

 ソシャゲが嫌いなわけではない。ソシャゲを一気にやれるところまでやって、速攻で飽きてやめると頭がすっきりする。他のことでは味わえない独特な感覚だとも思う。ただ、そういうことをしているとソシャゲを続けることができない。みんなはどうやって続けているんだろう。

 

 

Twitterスタンプ

 役に立つイラストというのがあると思う。ポプテピピックが話題になったのは、TwitterやLINEでクソリプを送るときに汎用性が高すぎるからではないか。コミュニケーションツールとして使いやすいということになれば、絵を直接的に人の役に立てることができる。これは面白いマンガを描こうとかすごいイラストを描こうとかいうのとは別のベクトルで楽しいかもしれない。そう思い立って、何枚か描いてみた。

 

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 天才菌糸くん。無断転載を諫める。UNDERTALEの無断転載が話題になっていたので。無断転載されてしらばっくれられたらこれを貼ると場が和むのではないか。

 

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 ミュート推奨。ミュートしてもいいからフォローしてくれという気持ちは私にはよくわからない。ミュートされたらフォローされてないのと一緒では?気持ちの問題?

 

 

 

じゃあこれは?

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A.反応に困る(はんのう二個マル)

大喜利みたいになってきた。

 

 

 

 

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 ブロックを促すイラスト。理不尽な中傷や粘着を繰り返されたときに。「ブロック機能って知ってる?」よりは角が立たないのではないか。

 

 

 

 こんなところだろうか。

 Twitterで使えるフリー素材シリーズみたいなのないのかな。

 使う人がいるかわかりませんが一応、今日のイラストは転載自由です。(転載した結果起きた問題については三宅は責任を取りません)