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みやけばなし

毎週金曜更新

本当に私以外私じゃないのか

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 例えばものすごく髪が綺麗で有名な女優がいて、その人には専属の特別な髪のケアをする美容師がいたとする。その美容師が突然事故で亡くなったら、その女優は前と同じ髪ではいられなくなるだろう。人気も落ちるかもしれない。その女優は、髪という、人としてのアイデンティティの一部を、美容師に依存していたことになる。

 

 私の通勤経路にはやたら安くトマトを売っている餃子屋がある。餃子屋なのに、軒先の空きスペースで野菜も売っているのだ。その八百屋がなくなったら私はとても困る。冬以外のほとんど一年中、トマトがなくなるたびにその八百屋で買っているからだ。

 

 人は選ぶことで自分を表現している。そして、選びとった物を自分であるとみなしている。

つまり、逆に言えば誰かから何らかの形で選ばれた場合には、自分は自分を選び取った『誰か』の一部でもあるということになる。自殺予防週間の常套句に「あなたは一人ではない」というのがあるが、これは言い換えれば「あなたの存在はあなただけのものではない」という戒めであり、自殺は自分の存在を自分一人で丸ごと選びなおす行為という点で究極のエゴであり抵抗なのだ。

 

 そう考えると、世の中に存在するものはすべて『私予備軍』であり、私以外私じゃないどころか、この世の全てが私であると考えることも、考えようによっては可能である。しかし、さすがに日常生活でそこまで広範な意識で生活することは仏陀でもない限り難しい。実際には、すぐ手に届く身の回りのものですら、私であるという意識をできずに生活しているような人も多いのではないか。

 

 私以外に私と意識を共有している存在はいない(たぶん)。そういう意味では確かに、私以外は私ではない。しかし、私は私が使っているシャンプーや、食べているトマトでできている。そういう意味では、私以外私じゃないなんてことはない。シャンプーは私であり、私はトマトだ。