みやけばなし

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モモから生まれた新世界

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    『モモ』というミヒャエル・エンデの童話がある。この童話の中で、人々は時間泥棒に「もっと時間を節約するように」促され、それに従った人たちは時間泥棒に時間を奪われてしまう。その奪われた時間を、主人公のモモがとり返すというお話だ。

 しかし現実の世界では、モモはいないし時間はとり返されていない。それどころか、みんなますます時間を節約しようとして一つ一つの行動を簡略化し、その時間でさらにたくさんの事をしようとして、その結果何もかも実感がなくわけがわからないまま時間だけが進んでいく、というような人生をおくっている。

 

    『すばらしい新世界』という有名なディストピア小説がある。その世界の中では人間は階層ごとに計画的に産出され、すべてが『幸せ』な状態になるよう常にコントロール化に置かれている。嫌な気分になることは悪いことなので、すぐにソーマという薬を飲んで改善することが推奨されている。

    かたや今の世の中も、『マインドフルネス』やら『アンガーマネジメント』やら、やたら感情やストレスをコントロールすることが良いこととみなされている。本当はそんなことが必要になってしまう社会の環境に問題があるのに、人間の反応の方をどうにかすることで対処しなければ未熟だとみなされてしまうのだ。


    本当に何もかもが便利で効率的な方がいいのだろうか?不便な方がいいことがあるのではないか?例えば自動車は自動運転になった方が安全なことは間違いないが、自分で制御したほうがきっと楽しい。茶室の入り口が狭くて頭を下げないと入れないのはユニバーサルデザインではないと言われればそれまでだが、それでいいと思う。何でもかんでも便利で安全でUDじゃないとダメというのは、かえって息苦しいのではないか。何となく、この感覚に何かのヒントがあるような気がしてならない。今の私たちの生き方は、何かおかしいのではないか?

 

    そんな風に考えていたら、まったく同じことを考えている人たちがいたようで、不便がもたらす良さ『不便益』について書かれている本に出会うことができた。その名も『ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか?』(川上浩司/著)。前著『不便から生まれるデザイン』のパワーアップ版ともいえる本著は、便利すぎることの弊害と、わざと不便にしてみることで得られる発見についてより実践的な提案がなされている。私自身まだこの本の内容をきちんと噛み砕けていないが、この本に書かれていることは、これからの時代のビジネスや生き方において抜け道のようなスタイルとして大いに有力になってくるだろう。