【注意!】
この考察はToby Fox氏制作のRPG『UNDERTALE』のネタバレを多分に含みます。
未プレイの方はプレイ後にお読みいただくことを強く推奨します。本当に素晴らしいゲームです。
UNDERTALE考察『僕たちはゴミ捨て場から生まれてきた』
1.メタトンは本当にトランスジェンダーなのか
2.UNDERTALEはナプスタとメタトンの「成り上がり物語」
3.外に出ることは幸せか?
4.僕たちはゴミ捨て場から生まれてきた
1.メタトンは本当にトランスジェンダーなのか
この考察を書くきっかけになったのは、YouTubeのUNDERTALE関連動画コメント欄に、メタトンの性別論争に交じって興味深い意見を見つけたことだった。
プレイ済みの方(そしてホテル裏の店でカギを買ってナプスタの隣の家に入った方)はわかっていることとは思うが一応確認しておくと、メタトンの正体は失踪したナプスタのいとこである。メタトンはもともとナプスタと一緒に暮らしていたが、アルフィーに肉体の製作を持ち掛けられ、憧れていたスターになるために家出をし、ロボットの肉体を得て地下世界のスターになった。そのメタトンがゴースト時代に暮らしていた家の中がやたらピンクピンクしていたために、「メタトンはゴースト時代女性だったのでは?」という憶測が一部のプレイヤーの間で話題になったのだ。部屋ではメタトンの日記も読むことができる。「ほしい にくたいは どこをさがしたって みつかりっこないんだから。」セクシャルマイノリティの読者の皆様には何か思い当たるところがあるのではないか。そう、このメタトンの日記、未パスのトランスジェンダーのぼやきにそっくりなのである。
(ナプスタの家の隣にある、メタトンの家。メタトンの日記を読むことができる)
しかし、部屋がピンクだからといって、女性だと決めつけるのは野暮なのではないか?
作者のToby Fox氏は、女性キャラであるアンダインやアルフィーを、男性キャラの性対象やトロフィーではなく、完全に確立した個人として描いている。また、女性同士・男性同士のカップルが性別については何のツッコミもいじられもしない形で自然に登場する。ここまできちんとしたポリティカルコレクトネスを持った作者が、今さら「女性=ピンク」などという悪名高いステレオタイプを持ち出すとは考えにくい。
そう考えていたとき、「メタトンはマイケル・ジャクソンのオマージュなのではないか」というコメントをYouTubeのコメント欄で見つけた。だとしたらものすごく腑に落ちる。家族からの脱却と自己イメージの追求、そしてその手段としての整形は、主人公の目的として設定されている「今いる場所から出ていくこと」とも重なるものがある。
2.UNDERTALEはナプスタとメタトンの成り上がり物語
True Pacifistルート(Pルート)のラストでは、アズリエルが、吸収した地下世界のモンスターたちの力を借りて結界を壊し、モンスターと主人公は地上に出ていくことができるようになる。しかし、一人だけアズリエルに吸収されなかったために事態を理解していなかったモンスターがいた。ナプスタだ。なぜそんなことになってしまったのか。
メタトンはスターであるとともに従業員思いの良い経営者でもある(たぶん)が、基本的には自分のことしか考えていない。主人公を殺そうとしたのも、自分が地上に出ていってスターになりたかったからだった。主人公との戦闘中にナプスタがメタトンに電話をかけたからこそ、メタトンは自分の共同体(ゴースト一家とモンスターの世界)の『共通善』を受け入れることができた。ファンがいるからこそスターでいられると気付くことで、メタトンは最終的に、「出ていかない」という選択をしたことになる。
その一方でメタトンが家出してフリスクと出会い、ナプスタを迎えに行ったから、ナプスタはPルートの最後で地上に「出ていく」ことになった。ナプスタはメタトンがいなくなったことでふさぎがちになり、アズリエルが吸収しようとしたときも『カーテンを閉めていた』ために吸収されなかった。これは、ナプスタがほかのモンスターと心の底からは交流しておらず、モンスターの社会に適応できていないことを暗に示しているのではないか。(「ゴーストだから吸収されなかったのでは」という説があるが、同じゴーストであるメタトンが主人公をフリスクと呼んでいるので矛盾が生じる)メタトンが迎えに行かなかったら、ナプスタは地下から出なかった可能性が高い。
(メタトンがナプスタをブルっちと呼んでいる以上、『ハプスタブルーク』は本名ではなさそう)
自己のあり方についての考え方には、「アイデンティティは白紙の状態から個人の選択によって作られる」というリベラリズム的アイデンティティ観と、「属するコミュニティの影響なしにアイデンティティは成立し得ない」とするコミュニタリアニズム的アイデンティティ観が存在する。
自分の夢を優先し、『個人の権利』に基づいてあくまでもリベラルな立場を取ろうとするメタトンと、代々続いてきた牧場を守り、ゴーストとしての『共通善』を全うしようとするコミュニタリアンなナプスタが、偶然とはいえお互いに歩み寄ることができたからこそ最適な結果に行きついたのではないか。
メタトンとナプスタの性格と行動は互いに正反対だが、両方がいたから二人は最終的に地上に出ることができるようになった。この視点から見ると、UNDERTALEはナプスタとメタトンの成り上がり物語としても読むことができる。
3.外に出ることは幸せか?
UNDERTALEは、全体としてみると非常にリベラルなゲームであると言える。
主人公は『無知のヴェール』をかけられているがごとく、アイデンティティが存在しない。プレイヤーの選択と行動によって、主人公の立場や特性、コミュニティ、ストーリーの結末がきめ細やかに変わってゆく。これはあらかじめ用意されたアイデンティティを持つ主人公が、その特長を発揮しながら自身のコミュニティを守る(あるいは奪還する)という従来のRPGのコミュニタリアニズム的世界観とは真逆のものだ。主人公の『個人の権利』(地上に帰りたい)は、地下のモンスター達の『共通善』としばしば相反する。主人公は、徹頭徹尾さまざまなキャラクターから「なぜ地上に帰りたいのか」「このまま地下で暮らしたらいいじゃないか」と何度も問われることになる。
(いろいろな人から引き留められるフリスクは幸せ者なのかもしれない)
その問いかけに対して、互いに傷つけ合わずにすむ方法を模索することも、強行突破することも同時に選択肢として与えられている。このゲームの真のテーマは、地上に帰ることではない。居場所を探して決めること、そのために選択することなのだ。
4.僕たちはゴミ捨て場から生まれてきた
UNDERTALEのモンスターたちは、人間の世界である地上から流れてくる雑多なゴミから様々なものを拾い出し、独自の文化を築き上げている。知識としては持っているが、何が本当でどうつながっているかはよくわかっていなかったりする。子供のころにすでにインターネットが存在した私の世代には、親近感がわく世界観だ。
インターネットには、いつどこの誰が投稿したのかも知れない、真偽不明の魅力的な情報が大量に投げ込まれている。テレビや新聞を見ている時間より、動画サイトやSNSを見ている時間の方が長い。画一された情報ではないから、カオスな情報の海から自分の感覚や好き嫌いだけで娯楽を探すようになる。自分は何が好きで、何が自分らしくて、自分の居場所はどこなのか、そのすべてを自分で選びださなければいけない。しかし、そんなゴミ捨て場のような場所から生まれてきた自我が、確固としたアイデンティティを持つなんてことが本当に可能なんだろうか?
(ゴミ捨て場で目覚めるフリスク)
現実の世界では、国際結婚、グローバル化、多文化主義などが進み、コミュニティに属する者としてのアイデンティティは一枚岩にとらえることができなくなってきている(アイデンティティの重層化)。共通の価値を設定することが難しい中で、答えのない決断を迫られる場面がますます増えるだろう。インターネット世代では、文化を自ら選択し、自らのアイデンティティを自分で取捨選択する力が必要になる。
その意味でUNDERTALEは、コミュニティから派生した自らの特性と、個人として持つ自己実現欲求を衡量した上で、自らのアイデンティティを意識的に選びなおす力が問われるゲームとして、現代っ子にとって非常にリアリティのあるテーマ設定をしていると言える。Pルート最後の選択肢は「今いるコミュニティから出てもいいし、出なくてもいい。世界は一つだし、壁はない。我々はうまくやっていける」というメッセージなのだ。
インターネットを文化の一次ソースとして育ってきた世代が成人になり、既存の体系を前提とした文化に殴り込みをかけてくる。壁を壊して地上に出てきたモンスターたちは、地上の人間たちとうまくやっていけるのか。実際のところがわかるのは、これからなのかもしれない。
…3700文字くらい書いたけど、これをメタトンのエッセイに書き込みたいなぁ!(終)
【追記】Pルートのフィナーレで箱メタトンからEXの脚が伸びてるのは、箱(=モンスターや周りから期待される姿)とEX(=自分が憧れる理想の姿)の共栄を象徴しているのかもしれませんね。
考察続編『電気仕掛けの箱型マシン』↓
http://michemiyache.hatenablog.com/entry/2018/04/08/135754
UNDERTALE関連考察一覧
http://michemiyache.hatenablog.com/archive/category/UNDERTALE%E8%80%83%E5%AF%9F