UNDERTALE考察『HERE WE ARE』第3章 おうちへかえろう

【注意!】

 この考察はToby Fox氏制作のRPG『UNDERTALE』のネタバレを多分に含みます。未プレイの方はプレイ後にお読みいただくことを強く推奨します。

 また、この番外編をお読みいただくことでUNDERTALEというゲームの見え方そのものが変わってしまう可能性があります。念押しになりますがあくまで個人の見解としてお読みください。

 第二章はこちら↓

michemiyache.hatenablog.com

 

 

第3章

おうちへかえろう

 

前章までの考察では、アマルガムがいかに可能性に満ちた神秘的な存在であるかはおわかりいただけたと思う。ここまでは理系寄りの話が多かったが、最後にUNDERTALEという物語全体からみたアマルガムについて思いを巡らせて、この考察を終わることにする。

 

3-1「せきにん」とかのはなし

TPルートが終わった後の感想として、「アルフィーはもうちょっと何か罰を受けても良かったのでは?」というモヤモヤを抱えた人は多いのではないだろうか。

 

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 アマルガムの元になった被験者たちは何事もなければ死者として安らかに眠れたはずなのに、実験に使われたせいで中途半端な姿で蘇らせられてしまった。その点で言えば、家族が許す許さないに関わらず、アルフィーにはアマルガムのこれからを『看取る』責任がある。

 また、アルフィーに研究を指示し、国民に献体を命令したのはアズゴアであるから、総合的な保障はアズゴアがすべきだという見方もできる。意識はないもののまだ完全には死んでいないモンスターを、国のために死体として献体させたという事実は、厳しい見方をすれば生存権の侵害にあたる。進行を監督していなかったことについて「きづいてやれなかった」で済ませているのも引っかかる。そもそも前任者が殉死しているのにアルフィー一人にワンオペさせるってどうなの…

と、訴えられたら負ける要素がてんこもりなのだ。

 

 

3-2家族との幸せな日々

アマルガムの発生については、責任追及をしようと叩けばいくらでも『ちり』が出てきてしまう。しかしながら、実際は訴訟などにはならず、遺族たちはアマルガムを違和感なく受け入れ、家族の生還として喜んですらいる。

 なぜ遺族たちは、アマルガムを抵抗なく受け入れることができたのだろうか。

 

 

①地上に出られる高揚感で浮かれていたから

みんな地上に出られるというお祭り騒ぎをしている中で暗い話題を持ち出すのがはばかられたため、訴訟がうやむやになったという説。筆者は最初これではないかと思ってしまったのだが、地上での様子を見るにアルフィーはアンダインと浜辺で楽しく遊んでおり、落ち込んだり法廷に出廷している様な描写はされていない。たぶん訴えられていないのだろう。

 

②地上とは倫理観が異なるから

キリスト教においては、死んだ人間のタマシイは「永遠に存続するもの」と捉えられている。その前提からすると、「モンスターのタマシイは死後すぐに壊れてしまう」という運命を無理に覆そうとするというコンセプト自体に、冒涜的な恐怖を感じさせる要素が含まれている。また、信仰心があいまいだと言われる日本人の感覚からしても、死者=穢れという漠然としたイメージがあり、アマルガムが自然に受け入れられる社会というのにはどうしても違和感がある。

 一方地下世界では第1章2項で触れたように、死後に残るちりを用いて輪廻転生を意図的に促すことができると信じられており、モンスター達はアイヌ民族などに見られるようなアニミズム的な死生観を持っている。その死生観から見れば、死んだはずの家族が姿を変えてそばにいるという点は何も変わらないのだから、アマルガムを何の違和感もなく受け入れることができても不思議ではない。

 生き死にの仕組みが違うのだから、死生観もニンゲンと異なるのは、考えてみれば当たり前の話だ。「誰も死ななくていいやさしいRPG」における死生観としては、これ以上の在り方は存在しないだろう。

 

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 しかしながらこの説だけではどうしても弱いと言わざるを得ない。

  モンスター達がアニミズムに100%心酔しているかと言えば、どうもそこまでは言い切れなさそうではないか。ちりを使って弔えば新たな命として死者が生まれ変わるということを確信しているのならば、身近なモンスターをニンゲンに殺されたモンスターたちがあんなに悲しんだり怒ったりするのは不自然だ。

 さらに、地下世界でのアマルガムの待遇については、スノーフルのウサギの子が「なんで みんな あの デカい ドロドロのヤツらを みて へいきで いられるの…?」という意見を口にしている。そう、イヌッサも『バケモノ』と呼んでいるように、アマルガムの見た目は、モンスターの目から見ても『異様』なのだ。死者を生き返らせたということに関してはお咎めなしで済んだとしても、くっついてしまったこと、見た目が異形のモノになってしまったことについてはまた別の説明が必要になる。

 

 

アマルガムが説得したから

家族を生き返らせただけならまだしも、他人と溶けてくっついたドロドロのバケモノにされてしまったら、いくらモンスターが優しいとはいえかなりキツイだろう。元に戻すことができず、葬式も出せないのでは『死者を冒涜した』と言われても仕方がない。だからアルフィーは悩んでいたのだ。

 

 しんじつのラボでのアマルガムアルフィーのいうことを素直にきいているところを見ると、アルフィーアマルガムの間には信頼関係が構築されているのだろう。アルフィーアマルガムたちをそれぞれの家族の元に帰した後、アマルガムたちは自分で遺族に説明したのではないか。アルフィーが自分たちに尽くしてくれたこと。悪気があってやったわけではないこと。また一緒に暮らせるのをうれしく思っていること。被害者本人たちが許せと言っているのに、それをさえぎってまで責任を追及するほど無粋なことはない。だから罪の云々ではなく、訴訟に至らなかったのだろう。

 

3-3 モンスターの子の「て」

様々な姿かたちのモンスターが生きている地下世界においても、アマルガムの見た目はかなり特殊だ。ウサギの子のように、アマルガムをすぐには受け入れられないという意見もあって当然ではある。

 

 ただ、モンスターの社会でアマルガムが永久に受け入れられないかと言えば、そんなことはないのではないかと筆者は感じている。

 モンスターには一般的に、自分とは異質の相手を差別せず、柔軟に受け入れていく性質があるからだ。

 

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「オマエの ても かさを にぎれない こうぞう なの?」

 このモンスターの子のセリフには、地下世界のやさしさが余すことなく表現されている。

 『腕が無い』ということを不利に感じていない、という表現ですらまだ浅い。自分には『腕がない』ということを認識していない、意識する機会すらない、そういう育てられ方をしてこなければ出てこないセリフだ。今は異形扱いされているアマルガムも、ちょっと変わったモンスターの一形態として、何でもないこととして忘れられていくのだろう。

 

 そしてこの柔軟性は、モンスターたちがニンゲンの社会に合流していく際にも大きな武器になるはずだ。ニンゲンは、肌の色や民族など、モンスターからすれば判別できないような差を根拠に互いにいがみあっている。モンスターの柔軟性は、人類の不毛な争いの連鎖すら飲み込んでくれる可能性を秘めている。モンスターの子の手は、傘を握ることはできないかもしれない。しかしその見えない手には、モンスターと人類が共存していくための重要なカギが握られているのだ。

 

 

( UNDERTALE考察『HERE WE ARE』 終)

 

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