ミヤケ書房

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鬼滅の刃 童磨考察『内面に踏み込むということ』

 ※鬼滅の刃のネタバレを含みます。単行本19巻まで読了後の閲覧を推奨します

 

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 しのぶさんは童磨と戦う以前、炭治郎に「怒ってますか?」と聞かれたことがある。

 炭治郎としては全く悪気がなかったこの発言により、しのぶさんは「鬼への恨みと怒りをずっと抑圧し続けてきたこと」「姉に好きだと言ってもらえた『笑顔』を絶やさないよういつも口元に笑みを貼り付けていること」に気付く。

 そのしのぶさんに育てられたカナヲも、幼い頃両親から酷い虐待を受け、兄弟が死ぬまで暴力を振るわれて死んでいくのを見てきたことで、泣きたくても泣くことができない状態になっていた。カナヲが徐々に感情を取り戻していくのは、しのぶさんや炭治郎と出会ってからである。

 

 

 カナヲが童磨の心が動いていないことを指摘できたのは、自分にも感情の表出が困難な時期があり、しかしながら自分とは違う根本的な「感情のなさ」を感じ取ったからだろう。

 

 童磨はいわゆる『宗教二世』であり、俗世とかけ離れた異常な倫理観を植え付けられて育った。生まれながらにして全く共感できない両親を持ってしまったためか、感情そのものが育たず、人を「憐れむ(蔑む)」ことで執拗に相手にマウントを取ろうとする。

 

 この人物背景には、太宰治の小説『人間失格』の主人公・葉蔵との類似点が見られる。

 生まれつき感情というものが理解できない葉蔵は、他人に自分の内面へ踏み込まれるような状況を回避するため、とにかくドジっ子を装い「おどける」ことで他人を笑わせながら生きる。しかし、ある日学校の同級生である竹一にそれが「わざと」であると看破される。葉蔵は怒り恐れおののき、竹一に秘密をばらされることがないよう親友の地位にまでたどり着く…

 

 感情がなければ他人とコミュニケーションをとることは極めて困難になるが、長く生きていれば「こんなとき人はこんなふうに振る舞うものだ」という行動様式を蓄積することはできる。童磨の言動からは『友人が死んだときは涙を流す』『頑張っている女の子がいたら褒めてあげる』等、テンプレートな行動形式を逐一選択してその通りに振る舞うようにしていることが見て取れる。しかしいくら善人の振る舞いをしようとしても、基盤になっている思想が狂っているためちぐはぐになり、かえって不気味になっていることに本人は気づいていない。童磨は童磨なりに努力してきたのである。それを見透かされた上「何の意味もない」と言われたのだから、怒っても無理はないだろう。残念ながら(?)童磨の産まれて初めての感情は『自分の心に踏み込まれたことに対する怒り』になってしまった。

 

「君みたいな意地の悪い子初めてだよ」「何でそんな酷いこと言うの?」

 本当に何も感じていないなら「馬鹿だなあ、その分苦しいだけなのに」とか「死ねば全部なくなっちゃうのに?」と煽り返すところではないか。

 

 しのぶさんと炭治郎のやり取りにも言えるが、人は他人から内面に踏み込まれて初めて自分の感情に気付くことがある。「内面に踏み込む」という字面は「デリカシーのない行為」「心の傷をえぐる悪いこと」という印象が強い。しかし他人からの指摘がなければ、自分の感情(特に無意識に抑圧しているもの)を客観的に認識することは困難である。童磨自身も何も感じられない自分に異質さや疎外感をぼんやりと「感じて」おり、そこに生まれて初めて外部から揺さぶりがかけられる。(もうすぐ殺されるという段になって!)

 

 

 結局、童磨は何がいけなかったのか。「生まれた家が悪かった」と片付けるのは簡単だが、そう単純な話だろうか。

「死は苦しみからの救済であり、死ねば何も感じなくなる」という宗教は、元々何も感じない童磨にとっても救いになっていたはずだ。人を殺すことは「相手を自分と同じ場所へ導く」ことであり、童磨なりの「親密さ」を表現する行為である。感情のなさに加え、元々異常な幸福尺度と相手の思想理念を汲もうとしない傲慢さ、そしてそれを許し続けた環境が重なってとんでもない悪になってしまったのだろう。

 

『意志の継承』がテーマになっているこの作品において、敵役の鬼たちは人間の『意志』と戦うことになる。多くの鬼が精神的な面でも敗北を喫し、主人公側の正義の文脈に飲み込まれ過去を悔いながら死んでいく。その中で、意志の継承どころか意思疎通ができなかった童磨は、かなりぶっちぎった悪役だ。そしてそれは意志の力を認めた上でなおそれを自分の目的のために利用しようとするラスボスの無惨にもつながっていく。

 

 それにしても最後の最後ではっきり自覚した感情が『恋』というのはかなり突飛だ。

しかし「この人ならもっと自分に踏み込んでくれそう」「自分の感情を揺さぶってくれそう」「離れたくない」という気持ちは、言葉で表すとしたら何かと言われたら一番近いのはたぶん『恋』だろう。あながち間違ってはいない。

 しのぶさんからすればたまったものではないだろうが、感情がないまま死んでいったら地獄でも何も感じてなさそうでそれはそれで腑に落ちないし…どちらにとってもハッピーエンドといえばハッピーエンドなのかな…

 (鬼滅の刃 童磨雑感『内面に踏み込むということ』終)